2018年11月17日(土)の手紙

2018年11月17日(土)


『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。』ヨハネの黙示録3章20節


私たちの戸の前に、一人の方が立っておられます。
彼はブザーを押しません。
また、把手をガタガタ鳴らしません。
ただそこに立って静かに叩き続け、私たちが中からあけるのを待たれます。

この方は物ごいでも、物売りでもありません。
この方こそは「天においても、地においても、いっさいの権威が与えられている」方です。
その名をイエスと呼びます。

「戸を叩いている」と主が言われないならば、私たちはこの方が立っておられることにさえ全く気づきません。

オスロ大学のハレスビー教授(1879-1961)は、イエスのこのみことばは、祈りを学ぶすべての人々にとって大変に重要であると言いました。

それは傾聴に値することばです。
うまく祈れないということは、私たちの切実な悩みだからです。
雑音が多すぎるのです。
内にも外にも。

さてイエスは戸の外に立っておられます。
家の中には私たちが、未解決の種々の問題、良心の責め、困難な課題、怒り、悲しみ、悩みをかかえて座り込んでいます。
私たちはまるで、帳簿の整理がつかない商売人のようです。

なぜ私たちは、戸の外に立つ方のことを思わないのでしょうか。
戸をあけて、整理のつかない私たちの人生の帳簿を、救い主にお見せし、願いさえすればよいのです。
「あなたの御手に任せます」と。

その手にある釘跡を、私たちは心に留めなければなりません。
それらは、主が私たちのために十字架にかかられたことを物語っています。
主はその救いの御手を、私たちの人生に対して力強く差し伸べることができるし、また、そうしてくださっています。

それでもなお、私たちが暗闇に一人で留まるとすれば、それは愚かなことです。
戸の外に、助け主、救い主がおられるのです。

主よ。
自分の手に負えないことに対して、ひとりで格闘するのはやめます。アーメン

God Bless You!!


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