2018年11月12日(月)の手紙

2018年11月12日(月)


『私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。』テモテへの第一の手紙6章7節


これは明らかなことです。
聖書がなくてもわかることです。

が、そうですか。
明らかですか。
いいえ、むしろこれほどに知られていない真理もないと言えます。

人はだれでも、できるだけ多くをつかみ取ろうとします。
すべてを永遠にまでも持って行けるかのように思っているのです。

「何一つ持って出ることもできません」。

死ぬときにはどうなるのか。
執着するいっさいのものを、後ろに残していくのです。
何も持たずに、私たちは永遠へと踏み出し、神の御前に立つのです。

有名な一人の教授のことを話しましょう。
彼は19世紀のまだ静かだったボンの町に住んでいました。
名前はクリストリープ。

その名にふさわしく主イエス・キリストを愛する人でした。
主イエスが十字架の死を通して、彼の心を獲得されたからです。

ある時、彼の祈る声を息子が聞いていました。
「主イエスよ、私たちはいつかこの世に、親しい者に、別れを告げなければなりません。
けれども、あなたからは引き離さないでください」。

クリストリーブはきょうのみことばから結論を引き出したのです。
「もしも世の物事と別れる日が来たなら、私はそれらを心にかけるのをやめましょう。
そしてわが救い主に心を傾けます。
主が私とともに死の谷を行かれるからです。

主はまた、私が自分の咎を神の前に運んで行かないよう、配慮してくださいます。
主がそれを十字架の上で担ってくださったからです」。

賢明な教授ではありませんか。
私たちは彼にならって言うべきです。
「願わくは小さいものが小さく見え、大きいものが大きく見えますように。
永遠の幸いが大きく見えますように」。

主よ。
あらゆる余分なものから、私たちの心を解放し、私たちをあなたご自身のものとしてください。アーメン

God Bless You!!


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