2018年10月5日(金)の手紙

2018年10月5日(金)


『ヘロデは、自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した。』ルカによる福音書23章11節


「馬子にも衣装」ということわざがあります。
聖職者の装い、外交官の刺繍入りの礼装、などを見かけると、私はこのことばを思い起します。

が、ただひとつ例外があります。
人となった神の御子イエスの場合です。

十字架にかかる日、主は四種類の衣を身にまとわれました。
最初はご自分の衣。
次に人々は、彼をなぶりものにして、兵士の赤いマントをかぶせました。
十字架上では腰布だけでした。
そしてヘロデがイエスを翻弄しておし着せたのは、王のはでな装束でした。

しかし、主はいつも主ご自身でした。
着物は全く重要ではなかったのです。
聖書が彼を「新しいアダム」「新しい人」と呼ぶことが、よく理解できます。

イエスこそは本当の人です。
彼は、神が私たち人間にこうあれと意図されたとおりの人であったのです。

ローマ総督ピラトでさえもが、それをおぼろげに悟りました。
彼は、鞭打たれたイエスを民衆の前に立たせながら、驚きも露わに叫んだのです。

「見よ。これこそ人だ」。

彼はこう言いたかったのです。
「自分は多くの人を知っている。
見栄っ張りの孔雀、どうもうな虎、下卑たハイエナ、などなどだ。
が、これこそは…本当の人だ」。

現代は、模範となる人物を求めています。
が神ご自身はすでにイエスのうちに、宝璧な模範を啓示してくださいました。
イエスのように憐みに満ち、神への信頼に溢れ、聖く、偽りのない、無私なる人に、私たちもなるべきだとしてです。

けれどもイエスは模範以上のお方です。
彼にあって、私たちの悪しき性質と、神の前に失われている私たちの姿とが明らかにされるのです。

このことを悟った人々に、イエスは大いなる赦し主、贖い主となってくださいます。

主イエスよ。
私たちのすべてとなってください。アーメン

God Bless You!!


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