2018年10月4日(木)の手紙

2018年10月4日(木)


『イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。…。』ルカによる福音書19章9節


友人たちはおそらくザアカイを非難したことでしょう。
「救いだと。愚かなことを言うな。
この家に来たのは、救いではなく、災いだ」。

男はイエスの訪問を受けました。
イエスにお会いする人はみな、光の中に立つ者となります。
その光の中でザアカイは、自分の生涯が全くの恥辱であったと気づいたのです。

そうです。
彼は金持ちでした。
が、その金には、なんと多くの罪がしみついていたことでしょうか。

そこで彼は宣言します。
「財産の半分を貧しい人たちに。だまし取った物は、四倍にして」。
そうすると、ほとんど手元には残りませんでした。

イエスはこれほどまでにも人を変えてしまうお方です。
これは災いですか。
友人たちの言うとおりですか。

ザアカイは首を振りました。
「いや、確かに救いが、私に来たのだ」。

ですから、私たちはこう言ってもよいのです。
イエスの力に自分を委ねる人には、新しい目が与えられる。
そして彼は、世が災いと見るものを、イエスの光の中で、救いだと告白することができるようになるのだと。

背中に落石を受けた山男を知っています。
彼は歩行障碍の身となりました。
友人たちは「ひどい災難だったね」と言いました。
そのとおりです。

が、やがてこの不幸な男が、初めて福音を聞くのです。
彼は方向転換をし、イエスのうちに神との平和を見いだしました。
そして彼は喜びの人に変わりました。

ある日、彼は私に言いました。
「障碍を負うようになったことを、感謝するくらいです。
それによってイエスの救いを発見したのですから」。

そしてさらに、心の底から、こう付け加えました。
「歩行障碍の身でも神との平和があるならば、両足で地獄に駆け込むよりも良いのです」。

さて、彼の災いは、救いではなかったでしょうか。

主よ。
あなたの救いの道を悟る目を、私たちにお与えください。アーメン

God Bless You!!


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