2018年10月23日(火)
『それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され…。』ローマ人への手紙1章24節
このみことばを本当に理解したならば、ほとんどの人々はどんなに驚き、目をみはることでしょうか。
現代人は、まじめに神を考えることなしに生きていて、そして途方もない自由を誇ります。
自分を押し通す自由、本能のままに振舞う自由、自分を正しいとし、世界中の他の人たちを悪いと決めつける自由を持っているのです。
そして、実はこれらが自由ではなく、神のさばきそのものなのだとは、思いもしません。
聖書にあるとおり、「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、…それゆえ神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され」たのです。
私はここに1740年の往復書簡を持っています。
まず、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム一世が、イエスのあかし人であるツィンツェンドルフ伯に宛てて、こんな手紙を送りました。
「…余が思うに、余は神及びわが救い主と良き関係にある。
…余は自らの罪を心から悔いる。
さらには、より多くのより弱き者らが罪を捨てるべく、尽力する所存である…」。
ツィンツェンドルフ伯の返事はこうでした。
「それが首尾よく行くとは保証しかねます。
私には最初からわかっているのですが、人には良いことが満足に行えないのではなく、全く行えないのです。
しかし救い主には、私たちをご自分の御旨にそって造り変える力があります…。
ローマ人への手紙1章(きょうの箇所)によれば、罪を犯すこと自体が私たちの受ける罰です。
そして罪から自分を守ることは、…罰から身を守るのと同様に、頻繁に語られはするものの…、まず恵みを捕らえてからでないならば、それはだれにもできません」。
なんという恐るべき手紙のやり取りでしょうか。
しかしまた、だれがこのような救いを考え出せたでしょうか。
主イエスよ。
あなたは私たち罪人のために死んでくださいました。
その恵みを私たちのうちに堅固なものとしてください。アーメン
God Bless You!!
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