2018年10月2日(火)
『ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。』ルカによる福音書19章6節
「木の上の男」。
なんだか現代小説の題のようではありませんか。
が、これは本当にあったことです。
ある男が、主イエスにお会いしたいとの燃える思いを抱きつつ、人垣にさえぎられ、ついには木にまでも登ったというのです。
救いの願いを持ったことのない人には、これは理解できません。
が、聖霊が働いてくださって、その良心が安らかでないものとされるならば、人は、事柄の重大さを悟るようになります。
さて聖書は、ザアカイがどうやって木に登ったかには、全く関心を示しません。
ましてや、どうやって降りたかは、問題外です。
ではいったい何が問題だったのでしょうか。
イエスは立ち止まって言われた。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。
きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」。
問題はそのあとです。
「彼は急いで降りて来」たのです。
男が幹をすべり降りる姿は、何の値打ちもないでしょう。
が、彼はともかく急がなければなりませんでした。
なぜですか。
彼は気が変になったからですか。
いいえ。
イエスがお泊まりになるならば、人生と商売に大変革が生まれるだろうと考えたからです。
イエスをお迎えするかどうかは、よくよく慎重に考えるべきことだ、と思う人もいるでしょう。
確かにそのとおりです。
しかしまた、一生考えてばかりいて結論を出さなかったために、ついに永遠に滅びなければならない人々も、多くいるのです。
聖書は言います。
「きょう、もし御声を聞くならば… 心をかたくなにしてはならない」。
主よ。
思案を終わらせて、決断に進めるよう、お助けください。アーメン
God Bless You!!
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