2018年10月1日(月)の手紙

2018年10月1日(月)


『イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。…』ルカによる福音書19章5節


「人生に一度、人は二つにひとつの方法で自分を愚かとする。
一方は、神との平和を求め、この世に対して愚かになること。
だが実はその愚かさが賢明なのだと、永遠があかしすることになる。

もう一方は、私たちがいま世間受けのする賢い者になること。
そうすれば、やがて永遠に嘆き、『愚かにも正しい道を見落とした』と言うことになる」。

青年時代に聞いたことばです。

取税人のかしらザアカイは、それに気づいたのです。
そこで世の救い主、イエスに会うためにはどんなことでもしました。
実に彼は、街なかの木にまでも登りました。

滑稽だと思いますか。
いいえ。
なんと感動的なことでしょう。

ひとりの人間が、自分のたましいの救いに心砕くほど立派なことが、ほかにあるでしょうか。
ひとかどの男が「自分には、最大のもの、神との平和、罪の赦しがない」と気づくことは、最も尊いことです。

さて最初のうちは彼を見て笑った人たちも、彼のことをすっかり忘れてしまいます。
「奇蹟を行う人」「新しい預言者」である、時の人イエスが来られたからです。
人々はそちらに気を取られました。

そうして、木の上には、救いへの渇望をいだいて座るザアカイがいます。
彼に何が起こるのでしょうか。

彼の真下に来て、イエスが立ち止まられました。
主はザアカイを見上げます。
主は群衆を見てはおられません。

エリコの町の名士たちが近づいて来ても、それは眼中にありません。
主はただ、ザアカイの求めの心と、安らぐことのない良心とをご覧になりました。

「彼らが平安を持つため」。

そうです。
そのために十字架にかかってくださったとき、主は、このような心、苦しむ良心をご覧になっていたのです。
それでこそ主イエスです。

主よ。
慕い求める心と、重荷にあえぐ良心との救い主よ。
あなたなしにどうして生きられるでしょう。アーメン

God Bless You!!


a:146 t:1 y:0