2018年1月5日(金)の手紙

2018年1月5日(金)


『主よ、どうか心に留めてください。私の一生がどんなに短いかを。』詩篇89篇47節


聖書は常に、なんと新しい見通しを私たちに与えることでしょうか。
「お前の一生の短さを心に留めよ」。

人間がこのような勧めを受けたのは随分古いことです。
古代ローマの昔、ひとりの将軍が堂々ローマに凱旋すると、奴隷がひとり駆け寄って声をかけました。
「閣下。
ご自分も死ぬべき人間であることを、お忘れになりませんよう」。
あるいは中世の修道僧たちは祈?台の上にされこうべを置いたといいます。
……メント・モリ(汝の死を思え)

きょうのみことばを思い巡らしていたとき、ふと次のページのみことばが目に留まりました。
「私たちが死ぬべきものであることを教えてください。
そうして私たちを賢い者としてください」(詩篇90篇12節)
「教えてください」と言うのです。

さて、きょうのみことばは何と珍しいものでしょうか。
一生の短さを心に留めるよう、促されるのは人間ではなく、神です。
すなわち詩人は、「私の一生の短さを心に留めてください」と神に願うのです。

彼はこの祈りに何を託したのでしょうか。
それは文脈から明らかです。
神に対して真実であった彼は今、主が御顔を隠されるという経験をしています。
「いつまでですか。
主よ。
あなたがどこまでも身を隠し、あなたの憤りが火のように燃えるのは」。

彼のすべての罪が眼前に現れました。
これまで万事が順調であった彼は言います。
「あなたは私の若い日を短くされました」。
彼は自分と民との罪に、そしてさらにまた、それらに対する神の御怒りに、目を留めるのです。

が、このままでは人は生きられません。
そこで彼は祈ります。
恵みを受けないままで、死なせないでください。
短い生涯が恵み溢れる器となりますように。
彼はそう願うのです。

主イエスよ。
恵みに富む方よ。
あなたを見いださずに、私の生涯が過ぎ去りませんよう。アーメン

God Bless You!!


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