2018年1月3日(水)の手紙

2018年1月3日(水)


『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。』詩篇8篇1節


ある人は言います。
「確かにこれは堂々たる賛美だが、私の灰色の日々には似合わない。
神がおられる天国でならば、そんな調べも奏でられよう。
大げさなことばが好きな教会にもぴったりだ。
が、私の憂うつな毎日と、この賛美とは、天と地ほどもかけ離れている。

『私たちの主、主よ。
あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう』。
なるほど堂々たるものだ。
しかし、私はといえば、くだらない雑用やら、腹の立つことやら、名もない、しがない人たちやらと、鼻を突き合わせて生きているのだ。
要するに、賛美と生活とは別世界なのだ。
この賛美のことばは、聖書にはうってつけであっても、私の人生には関係がない」。

多くの人々がそう思うでしょう。

しかし一度逆に考えて見たらどうでしょうか。
私たちの毎日が憂うつで取るに足らず、哀れであるとすれば、それは神の力と、神への賛美とを、人生から締め出しているからです。
私たちは日々の生活を、さまざまな心配ごとや、自分の必要を満たすことや、
ささいな争いなどでいっぱいにしています。
そうしながら、神の𨨶力に対しては戸を閉ざしているのです。
それゆえに、私たちの毎日は、そして、私たちの心は、ちっぽけでかび臭いのです。

もしも私たちが、礼拝の思いに満ちたこのみことばで一日を始めるならば、心はたちまち元気になります。
それは天国で深呼吸をするようなものです。

主よ。
御子イエスにあって、あなたはこの世に来られました。
今、私たちの日々にも来てください。アーメン

God Bless You!!


a:180 t:1 y:0