2018年1月25日(木)の手紙

2018年1月25日(木)


『百人隊長は、イエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、しもべを助けに来てくださるようお願いした。イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」』ルカによる福音書7章3節~5節


ここを読むときに、私は恥ずかしい思いがします。
百人隊長は異邦人であったのに、愛と憐みの深さにおいて、私たちキリスト者をはるかにしのいでいるからです。

カペナウムはガリラヤの中心都市でした。
それはローマの支配に対して筆舌に尽くせない恨みを抱く人々の町でした。
神の民が異教徒ローマに屈服する恥辱は、ガリラヤ地方全体を憎しみにくすぶらせました。
そのカペナウムに占領軍の司令官が駐在しているのも、無意味なことではなかったのです。

さて、百人隊長はどうでしょうか。
彼に頼まれると、町の長老たちは喜んでイエスへの取り次ぎを引き受けました。
「この人は… 資格のある人です。
…私たちのために会堂を建ててくれた人です」。

たったひとりの男が突然に、人々の憎しみを克服したのです。
憐みと愛とによって。

将校の憐みの心は、病気のしもべのために骨惜しみをせず、しもべのために屈辱をさえいとわないその姿に、すでに現れているではありませんか。
もしも異教徒のひとりがかくあり得るとするならば、ましてやキリスト者は、愛によって世を変革すべきではありませんか。

さらに、ご自分の敵のために死なれた主を信じるキリスト者たちは、世の憎しみを愛によって征服すべきではありませんか。

主よ。
愛のなさ、冷淡さをお赦しください。
私たちを、あなたの愛によって世界を征服する者としてください。アーメン

God Bless You!!


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