2018年1月15日(月)の手紙

2018年1月15日(月)


『わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。』ルカの福音書2章49節


ご自分の父がどなたで、ご自分がどんな由来のお方であるかを、ここで明快にお答えになるイエスには、まことに興味深いものがあります。

マリヤとヨセフは12歳のイエスを見失いました。
そして三日ののちにようやくエルサレムの大祭で、神殿におられるのを見つけます。

「父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです」。
マリヤが厳しい口調でとがめると、イエスは権威をもってきっぱりとお答えになりました。
「父上がわたしをお捜しになったというのですか。
いいえ、わたしは神の宮にいました。
神がわたしの父ですから」。

二千年にわたって、嘲る者、学者、神学者、無神論者は、イエスが神の御子であることを認めようとしませんでした。
もしも彼らの見解が正しかったのであれば、イエスはうそつきか頭が変であったことになります。
十字架の死に直面してもなお、イエスは「あなたがたが来たのは下からであり、わたしが来たのは上からです」と明言なさったからです。

もしも彼らの言い分どおりであったならば、私たちは神について全く何をも知り得ず、いかなる啓示も与えられず、この世に恵みはなく、生にも死にも、何の慰めもないことになるのです。

ご自分が神の御子であると明かされたイエスに、感謝しましょう。
なぜならば、彼こそは隠れたる神の顕現だからです。
彼こそは私たちを暗闇から救う方であり、彼こそは救いの門、彼こそはまことの良い羊飼いだからです。

聖書はこの方について、はっきりと言います。
「御子を持つ者はいのちを持っている。」

今や、本当にこの世に光がのぼりました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

主よ。
私たちの見えない目を開いて、あなたをはっきりと見させてください。アーメン

God Bless You!!


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