2017年5月3日(水)の手紙

2017年5月3日(水)


『自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。』マタイによる福音書16章25節


少女は、自分の目が茶色ではなく青色だったらよいのにと思っていた。
少女は、目の色を変えてくださいと祈ったけれど、そうならなかったのでがっかりしたそうだ。

彼女は20歳になって、宣教師に召されていると気付いた。
そして、いくつもの土地で主に仕えた後、インドへ行った。
彼女はそこで、自分を造られた神の知恵を理解した。

もしも彼女の目が青かったなら、茶色い目をしたインドの人々から受け入れられるのは難しかっただろう。
彼女は、55年間、インドで神に仕えた。

彼女がインドで受け入れられたのが、目の色のおかげだったかどうかは私達にはわからない。
だけど、確かなことは、「主が私達を造られた」ということ。
すべての点で神の知恵に従うなら、私達は効果的に神に仕えることができる。

彼女は、従うとはどういうことなのか分かっていた。
宣教師の生活について尋ねられると、こう答えている。
「宣教師の生活とは、単的に言うなら、死ぬことです」。

イエスも言われた。
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」。

これこそ、神に献身をしたクリスチャンの生き方だ。
熱心なクリスチャンとは、神の御心と神のご計画に完全に服従して生きる者だ。
神にささげられた人生は、決して揺らぐことがない。
私達も今日、神に従うことができますように。

God Bless You!!

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