2017年4月14日(金)の手紙

2017年4月14日(金)


『しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。』マルコによる福音書14章61節


根拠のない批判に対して、沈黙すべき時と反論すべき時がある。

イエスは、祭司長達と全議会に向かって偽証する人達を前にして、黙ったままだった。
何を言っても仕方のないことだったし、主の沈黙はイザヤ書53章7節の預言の成就でもあった。

だけどイエスは、公生涯の初期にはパリサイ人を痛烈に批判し、ご自分の教えが間違っているなら、それを立証すべきだと迫られた。

ある教会の牧師は、数名の教会員から事実無根の訴えを受けて辞任した。
信仰的なクリスチャンは、自己弁護すべきでないと考えたからだ。

そのような考え方が、妥当なこともあるだろう。
だけど、この場合、騒動を起こした人達は事実ではないことを言ったのだから、牧師は彼らを問い正して、きちんと責任を取らせるべきだった。
嘘をついた罪を告白するか、さもなければ神の御言葉にのっとって処分されるのだと迫るべきだった。

悪いことをしても何も言われないなら、彼らは同じことを繰り返すだろう。
私達が黙っているべき時は、聖霊に沈黙するように示されたり、発言の動機が自分のプライドを守るためだったりする時だ。

今、事実無根のことで非難されているだろうか。
反論は無益だと分かっていたり、プライドを傷つけられて悔しいだけなら、神の品性をいただいて黙っていることができるように祈ろう。

だけど、悪口を言う人を憐れみ、正義が示されることを願うなら、きちんと反論しよう。
それ以上の結果が望めないなら、沈黙の大切さを守るようにしよう。

God Bless You!!

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