2017年3月10日(金)の手紙

2017年3月10日(金)


『何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。』ピリピ人への手紙4章6節


私達は物質の世界に生きているので、たいてい自然、聖書、聖餐式、教会、他の人々など、実際に触れることのできるものを通して神と出会う。

だけど、神ご自身は霊であられるお方だ。
祈りは、私達の間にある、その違いを反映している。

私達は、神の直接的な介入を求めて祈ったかも知れない。
だけど、その祈りの答えが、私達の選択と神の計らいの共同作業という分かりにくい形で与えられたとしても、少しも不思議なことではない。

例えば、アルコール中毒の人が、「主よ、今日、お酒を飲むことがありませんように」と祈ったとする。
その応えは、たぶんその人の内から生まれるだろう。
断酒の意思を益々強固にするとか、本当の友達に助けを求めるということだ。
お酒の瓶が魔法のように、戸棚から消え去るというのは、考え難いことだ。

勿論、主にできないことはない。
だけど、主はそのような方法を選択されないだろう。

神の答えが奇跡であっても、私達の従う力であっても、私達は神を信じる。
そして、ふたつが絡んでひとつになったような、新しい提携関係を見るだろう。
祈りの重要な部分は、自分が神の答えの一部にさせていただきたいとする姿勢なのだから。

God Bless You!!

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