2017年11月20日(月)の手紙

2017年11月20日(月)

『わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心に責められることのないように、常に努めています。』使徒行伝24章16節


悪い事をすると罪悪感に襲われるのは、良心があるからだ。
神は人に良心をお与えになった。

パウロはローマ人への手紙の中で、良心が「互いに責め合ったり、また、弁明し合ったり」すると述べている。
クリスチャンは道徳的に完全ではないけれど、従順にキリストに従おうとしているなら、自分の良心を吟味することが正しく生きるために大切なものとなる。
罪を告白し、罪に背を向け、与えた損害の弁償をするのが正しい生き方だ。

パウロは自分の模範について「私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています」と語りっている。
パウロは、告白と悔い改めによって「神の前にやましいことはない」と言えるようにしていた。

私たちは、罪に悩んでいる。
パウロを見習って「やましいことはない」と言えるようになりたい。
神の御言葉が良心を導くなら、その良心に自分を導いてもらいたい。
ただ、従順な者となりたい。

God Bless You!!

a:177 t:1 y:0