2017年10月20日(金)の手紙

2017年10月20日(金)

『わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。』コリント人への第二の手紙4章8節


懐疑論者たちは、クリスチャンの信仰は松葉杖のようだと言う。
イエスを信じるという人は、宗教に寄りかからなければやっていけない弱虫だと言う。

彼らは、極東の国で投獄された男の話を聞いたことがないようだ。
彼はキリストを信じたので、「再教育」が必要だと言われ、二年半の間、獄中にいた。
そして一時は解放されたけれど、教会で献身的に仕えたために再び逮捕された。

懐疑論者たちは、パウロのこともきっと知らないのだろう。
パウロはキリストを信じたのち、逮捕、むち打ち、嘲笑、そして難船などを経験した。

パウロのような人たちは、自分を支える松葉杖を求めているわけではない。
彼らの心の中には、深くて本質的な真理がある。
自分は神と個人的な関係でつながっているという真理だ。
そしてこの関係は、イエスの十字架での御業を信じるという信仰から生まれたものだ。

彼らは、御国の王の子どもになった。
そして、イエスを宣べ伝えるという特権のためなら、すべてを喜んで犠牲にするようになった。
よたよた歩きながら、自分を支えてくれるものを探していたのではない。

キリスト信仰とは、「転ばぬ先の杖」ではない。
用心や安全のためでもない。
それは、何があろうとイエスを信じ、イエスを信頼するということだ。
日々自分の十字架を負い、救い主イエスのために生きることだ。

私たちは、イエスの十字架を喜んで背負おう。
主は私たちのために十字架をしのばれたのだから。

God Bless You!!

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