2017年1月28日(土)の手紙

2017年1月28日(土)


『神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。』詩篇51篇17節


どの国にも、英雄がいる。
だけど、偉大な英雄の失敗についての記述が残っているのはイスラエルだけかもしれない。

この詩篇は、ダビデ王について雄弁に語っている。
彼は結局のところ、政治的功績ではなく神に対する献身によって、イスラエルに覚えられている。

この詩篇はまた、悔い改めがいくつかの段階を通って導かれていくことを示している。
その軌跡は、罪責感、恥、そして真の悔い改めによる再出発への希望だ。

詩篇51篇は、罪の本質が神と人との関係の断絶であることをはっきりと表している。
ダビデは、「わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました」と告白している。

そして、贖罪のいけにえとして求められているものは、「砕かれたたましい。砕かれた悔いた心」だと理解した。
ダビデは、それを持っていた。

ダビデは祈りながら、自分の起こした悲惨は状況からでさえ、何か良いことが生まれて欲しいと望んでいた。
そして、一筋の光を見つけた。

この罪の物語を読んで、同じ過ちを犯さないように気を付ける人がいるかもしれない。
また、ダビデの告白を読んで、神の赦しに希望を託す人がいるかもしれない。
ダビデの祈りである詩篇は、彼が王として残した最大の遺産となり、彼の願いは叶えられたのだ。

イスラエルの最も偉大な王は、最も大きな過ちを犯した。
だけど、どこまで落ちたとしても、神の赦しと慈しみの御手の届かないところはない。

God Bless You!!

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