2017年1月2日(月)の手紙

2017年1月2日(月)


『あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。』マタイによる福音書6章3節~4節


自分がやった事は見つからないようにして、「ちょい悪」をしたい衝動にかられる人がいる。
悪い事をしても匿名ならば責任を負わなくてもいいと、しつこくささやく声がある。

非難されたくないので、名前を伏せておきたいと思うのは人間の本性だ。
だけど神は、別の事を考えておられる。
つまり、神が望んでおられるのは、良い事をしても褒められないように名前を伏せておく事だ。

私達は果たして、名前を伏せて良い事をしたいと思えるだろうか。

聖書は、一方の手がしている施しを、もう一方の手に知らせるなと語っている。
つまり、クリスチャンが恵まれない人達のために寄付をしたり奉仕をしたりする場合は、自分に注目が集まらないように注意を払うべきだと教えている。

神は、良い行いが表に出る事を望んでおられないのではない。
ただ、名声を得るのは私達ではなく、神があがめられなくてはならないというのだ。

私達が善い働きをしている団体で無償奉仕をしたり、教会で奉仕をしたり、寄付や献金をする時、まわりの人々から「すごいね」と言われるより、もっと素晴らしいものを受け取るだろう。

私達は、神から褒美をもらう。
そして、神は人々から栄光をお受けになるだろう。
それで十分だ。

God Bless You!!

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