2017年1月18日(水)の手紙

2017年1月18日(水)


『しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。』コリント人への第一の手紙2章9節


多くの学生や若者が、天国は退屈でつまらないところだと考えているそうだ。

ある日、キリスト教系大学の教授が、彼らの想像力を刺激するために次のような質問をした。
「朝目覚めた時、心から愛している人に、それ以上の愛で愛されているとわかったなら。
好きな音楽で目が覚めた時、そのメロディーが今まで以上に心にしみて大きな喜びを感じたなら。
新しい一日が始まる時、大海原で何かを発見するような予感がしたら。
良心の呵責が、ひとつもなかったなら。
自分の内面を見つめても、自分が少しも嫌いにならなかったら。
神を空気のように深く吸い込むことができたら。
神を大喜びで愛し、すべての人を自らすすんで愛せるとしたら。

こういうところに行きたいと思う人はいますか?」

このような興味をそそる質問に、すべての学生の手が挙がった。
もし天国がそのような場所だったら、もしくは、それ以上に素晴らしいところだったなら、学生達がそこに行きたいと願うのは当然だ。

イエス様は、「わたしは場所を備えに行く」と弟子達に言われた。
私達みんなが、心の底から願っていることは同じだ。
それは、神の栄光の家に永遠に住むこと。
そこは、言葉では表現できない至福の場所だ。
地上で味わう最高の喜びも、天国の喜びには到底及ばない。
そして、祝福のきわみは、主であるイエス・キリストが一緒だということだ。

God Bless You!!

a:219 t:1 y:0