2017年1月14日(土)の手紙

2017年1月14日(土)


『わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。』ヨハネの黙示録3章15節


ラオデキヤの都市は、水の問題を抱えていた。
近くの町には、素晴らしい温泉や冷たく澄んだ水があったけれど、ラオデキヤには、鉱物の混ざった生ぬるい水しかなかった。
それは硫黄臭のする、熱くも冷たくもないひどい水だった。

このような事実があったので、ヨハネの黙示録3章のイエス様の御言葉は、ぐさりときたことだろう。
イエス様は、ラオデキヤのクリスチャンを「冷たくもなく、熱くもない」と叱責され、吐き出したくなると言われた。
まるで、彼らの飲み水のように。

彼らの罪は、何だったのだろう。
それは、自分で何でもできると勘違いをしていたことだ。

ラオデキヤ人は非常に裕福になったので、どれほどイエス様が必要であるかを忘れていた。
自分の必要はすべて満たされていると言っても、主が一番必要でないなら、主を悲しませてしまう。
誤った自立心は、主だけが与えてくださるものを真剣に追求しないようにさせる。

もし、人格ではなく預金残高、正義ではなくクレジット限度額、そして賢明さではなく利口さを追い求めるなら、私達は間違った方向に進んでいくだろう。

だけど、イエス様は、より良いものを提供しておられる。
主は、私達の心の戸をたたいておられる。
主を、受け入れよう。
このお方が、私達の必要をすべて満たしてくださる。
いや、このお方だけが、私達の必要のすべてなのだ。

God Bless You!!

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