2017年1月13日(金)の手紙

2017年1月13日(金)


『そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。』コリント人への第二の手紙5章9節


「将来、誰もが15分間だけ有名になる」と言った人がいるけれど、果たして本当だろうか。
一生に一度も、注目を浴びることなどない人がほとんどじゃないだろうか。

その人達の中には、勤勉に働いている人、敬虔な子ども達を育てた人、人のためによく祈る人、個人伝道をしている人などがいる。

病人のいる家庭を助ける、高齢者の通院の送り迎えをする、日曜学校で教えるなど、数えきれないほどの親切な行為をしている。

これらの人々は、有名になることはない。
身近な人達以外、気に留める人もいない。
自ら進んで犠牲的にささげていたとしても、感謝されたり、賞賛の言葉をもらったりすることは、めったにない。

だけど神は、この人達の御心に忠実な行いを知っておられる。
また、その従順さを喜んでおられる。

コリント人への第二の手紙5章9節は、「そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである」と語っている。
私達が主を信じ、主に仕えようと生きるなら、主は喜んでくださる。

主の喜びが、私達の報酬だ。
なぜなら、神の是認はどんな時も大衆に認められること以上に嬉しいものだから。

God Bless You!!

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