2014年10月14日(火)の手紙

2014年10月14日(火)

『なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである』コリント人への第二の手紙4章17節


ある大学生が、両親に手紙を書いた。

「お父さん、お母さん。
色々な事が、ありました。
学生達が騒ぎを起こして、私の部屋に火をつけたので、煙を吸い込んで病院に運ばれて、介護士と恋に落ちました。

その後、あの騒ぎの件で、私も逮捕されました。
というわけで、私は大学を中退し、彼と結婚してこの町を離れ、引っ越します。
愛する娘より。

追伸。
これは、実際には起きていません。
実際の出来事は、化学の単位を落としたのです。
起きなかった事に照らして、起きた事を判断してくれると嬉しいです」。

この学生が、落第のニュースを両親に知らせた方法はどうかと思うけれど、彼女の言い分にも一理あるのかも知れない。

パウロがコリントの教会を励ました時、試練や迫害に苦しむ彼自身の切なる思いを書いている。
だけど、現実を正しく見るために、彼は焦点を永遠に移して、今日の御言葉を語ったのだ。

ある意味で、ひとつの出来事に関する正しい認識は、出来事そのもの以上に重要だ。
パウロは、続けて言っている。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」と。

後の栄光に比べれば、現在の苦しみは大した事じゃないと思える日が来る。
困難な時だからこそ、神様の視点で物事を見る必要があるのだ。

God Bless You!!


a:294 t:2 y:0