2012年9月28日(金)

2012年9月28日(金)


『よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう』ルカによる福音書15章10節


親にとって、自分の子どもを救い出すためなら、どんな代償も決して高すぎる事はない。
どれほど、エネルギーを費やしても大変な事はない。
どんな苦労もつらくはない。

親は、我が子を捜すためなら、どんな事だってするだろう。
そして、神もそうされる。

神の愛は、普通にはあり得ない愛なのだ。

人を死に追いやってまで、その妻を横取りするような者を愛する事は、普通にはあり得ない。
だけど、それがダビデに対する神の愛だった。

自分に目をそむける人を愛する事は、普通にはあり得ない。
だけど、それがソロモンに対する神の愛だった。

自分よりも石の偶像を愛する人々を愛する事は、普通にはあり得ない。
だけど、それがイスラエルの民を見捨てようとはなさらなかった時の神の愛だった。

そして、神よりも自分を愛し、適当に神を利用する、そんな人々を愛する事は、普通にはあり得ない。
だけど、それが私達に注がれた神の愛なのだ。

神は、私達を救い出すためなら、どんな事でもされる。
どんな事でも耐えられる。

神の忍耐の目的は、私達が悔い改める事なのだから。

God Bless You!!


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