2012年8月9日(木)

2012年8月9日(木)


『そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ』マタイによる福音書8章25節~26節


次の聖句を読んでみよう。
「舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った」

嵐の後、弟子達は「イエス様を拝んだ」
言い換えれば、イエス様を礼拝したのだ。

彼らはそれまで全員でイエス様を崇めた事はなかった。
一度もない。

聖書を開いて、確かめてみよう。
弟子達が、みんなで一緒に主を賛美した時があったかどうか、探してみよう。

そんな箇所は、見つからないはずだ。
イエス様が重い皮膚病の人を癒された時、弟子達が主を崇めたという記述は見つからない。
姦淫した女を、主が癒された時も。
群衆に語られた時も。

弟子達は自ら進んでイエス様に従った。
家族とも別れ、進んでサタンを追い払おうとした。
神の軍隊に入ろうとした。

だけど、ガリラヤ湖の出来事があってようやく、彼らはイエス様を崇めたのだ。

それはなぜか。理由は簡単だ。
その時、彼らは救われた者となったからだ。
主を崇め、礼拝する事は、救われた者の特権なのだから。

God Bless You!!


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