2012年8月29日(水)

2012年8月29日(水)


『彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう』ピリピ人への手紙3章21節


私達は、自分の復活後の身体について、何を知っているだろうか。
それは、私達が想像していたどんなものとも異なっているかも知れない。

あんまり違って見えるから、誰だかすぐには分からなかったりするのだろうか。
私達は、壁を通り抜けたりできるのだろうか。
おそらく、もっと色々できると思う。

私達は、人生の苦しみの傷跡をまだ残しているのだろうか。
戦いによる負傷。
病気による損傷。
暴力による傷。
これらはまだ、私達の身体に残っているのだろうか。

イエス様は、少なくとも40日間は傷跡を残しておかれた。
私達も傷跡は残るのだろうか。

あくまでも想像でしかないけれど、私の考えでは、残らないと思う。
なぜなら、聖書は「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされた」と言っている。

天の計算書では、記憶に値する傷はたったひとつしかない。
それは、イエス様の打ち傷だ。
私達の傷は、もはや残ってはいない。

God Bless You!!


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