2012年8月26日(日)

2012年8月26日(日)


『それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである』マタイによる福音書20章28節


他人の失敗の責任を引き受ける人は、めったにいない。
まして、まだ犯してもいない失敗の責めを肩代わりしようとする人は、更に少ない。

だけど、イエス様はそうされた。

戦いが始まる前に、イエス様は赦しをお与えになった。
過ちが犯される前に、すでに赦しが与えられたのだ。
非難がなされる前に、もう恵みが用意されていた。

最上位に立つ者が、最下位にある者の責任を負った。
それが、イエス・キリストの十字架の犠牲なのだ。

God Bless You!!


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