2012年8月13日(月)

2012年8月13日(月)


『わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた』詩篇32篇3節


私達の人生において、まだ告白していない罪はないだろうか。

告白は、自分がこれこれの事をしましたと、神に打ち明ける事だ。
神は、あなたがその行いをするのを見て、知っておられる。
だから、神にはそれを聞く必要はないけれど、私達にはそれを話す必要がある。

ごくささいな事だから言わなくてもいいとか、あまりにも重大すぎて赦されないだろうというのは、私達が決める事ではない。
私達のつとめは、ひたすら正直になる事なのだ。

私達の心の中に、まだ明け渡していない悩みはないだろうか。
私達は、一切の思い煩いを神にゆだねる事ができる特権が与えられている。
なぜなら、神が私達の事を心配してくださるからだ。

ドイツ語の“悩み”には、“息が詰まって死ぬ”という意味がある。
ギリシャ語は“心が決まらない”という意味だ。

どちらも的を射ている。
心配事は首を絞めつける縄であり、心を悩ませるものだ。
どちらも、喜びにはふさわしくない。

だから、安心して神に罪を告白しよう。
神は、私達の罪を赦してくださる。
一切の心配事を神にゆだねよう。
神が私達の心に、言い尽くせない平安を与えてくださるのだから。

God Bless You!!


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