2012年7月11日(水)

2012年7月11日(水)


『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者』ヨハネの黙示録4章8節


礼拝とは、厳密にはどういうものだろうか。
よく私達は「主をほめよ」という言葉を使う。

主をほめる事を、英語では「magnify」と言う。
この magnify には、(神を)賞賛するとか、賛美するという意味と共に、大きくする、拡大するという意味がある。
礼拝とは、まさに神をあがめ、その姿を大きく受け取る事だ。

文字通り、私達が見る神の姿を拡大すると、主の偉大さがいかに絶大なものであるのかを知るだろう。
勿論、言うまでもなく、主の大きさが変化するのではなく、私達の主に対する認識が変わるのだ。
近づけば近づくほど、主が大きく見えてくる。
私達に必要なのは、神の大きな御姿なのだ。

私達は、大きな問題や大きな悩みや大きな疑問を抱えていないだろうか。
勿論、抱えている。
だからこそ、私達には神の偉大さが必要なのだ。

礼拝は、それを私達に与えてくれる。
そのお方の偉大さに触れる時、私達は告白する。
「あなたは、聖なる、聖なるお方です」と。

God Bless You!!


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