2012年6月8日(金)

2012年6月8日(金)


『不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである』ヤコブの手紙4章4節


今、バプテスマのヨハネが生きていたら、絶対にどこにも雇われなかっただろう。
彼を招こうとする教会など、ひとつもないはずだ。
就職活動を成功させる自己アピール度は、ゼロだったからだ。

ヨハネは、らくだの毛で織った物を着ていて、腰には皮の帯を締め、いなごと野密を食べていた。
誰がそんな男と、友達になりたいだろう。
誰がそんな男を、雇たいと思うだろう。

ヨハネのメッセージは、身にまとった衣と同じくらい飾り気がなかった。
悔い改めよ、天の御国が近づいたからだ、とむき出しの言葉で、烈々と迫ったのである。

バプテスマのヨハネが他の人から離れ、自分を聖別しようとしたのは、イエス様の前触れになるという使命のためだった。
ヨハネのすべてが、彼の目的を中心に回っていた。
彼が着ている物、食べる物、彼の行動、要求…。

この世に衝撃を与えるために、この世と同じように振る舞う必要はない。
大衆を変えるために、大衆のようになる事はない。
彼らを私達の基準まで引き上げようとして、私達が自分をおとしめなくてもいいのだ。

きよさとは、変わった人間になる事ではない。
きよさは、イエス様のように生きようとする事なのだ。

God Bless You!!


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