2012年5月26日(土)
『主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる』詩篇34篇18節
聖書に書かれているのは、単なる日曜学校のお話ではない。
ロマンチックなおとぎ話でもない。
それは「私が苦しんでいる時に、神はどこにおられるのか」という疑問に私達が答えられるように、実在する神が現実の苦しみを味わってくださった歴史的瞬間なのだ。
神は、粉々になった希望にどう応えてくださるのだろうか。
幼い娘を亡くしたヤイロの出来事を見ればわかる。
父なる神は、病気の人達をどう思っておられるのだろう。
べテスダの池に、主と一緒に立とう。
あなたは、自分の寂しい心に神が語りかけてくださる事を願っている。
それなら、エマオの村に向かうふたりの弟子に語られた事に耳をすませよう。
主は、彼らのためだけに、そうされているのではない。
私達のために、そうしてくださっているのだ。
かつて語られた神は、今でも語っておられる。
かつて来られた神は、今でも来てくださる。
私達の世界に、あなたの世界に来てくださる。
あなたにできない事をするために、来てくださるのだ。
God Bless You!!
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