2012年4月18日(水)

2012年4月18日(水)


『神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである』コリント人への第二の手紙5章21節


イエス様を十字架に釘でつけたのは、ローマ兵ではなかった。
イエス様を十字架に打ちつけたのは、大釘ではなかった。

イエス様を十字架につけたのは、ご自分が罪になる事が必要なのだという主の確信だった。
きよい者が罪となり、神の怒りが造られたものではなく、造り主の上に注がれなければならないという確信だった。

何の罪も知らないお方が、私達のために罪そのものになってくださった時、罪のないお方が全世界の罪にまみれてくださった時、神は御使いの軍隊を遣わして救おうとはなさらなかった。

なぜなら、神はご自分が、私達を見放すくらいなら、ひとり子を見捨てると知っておられたからだ。

あなたがどんな事をしたのであろうと、手遅れだという事はない。
たとえ、どれだけあなたが罪に堕ちていたとしても、もう遅すぎるという事はない。
どんなにひどい過ちでも、それを正すのに遅すぎる事はない。

その過ちを探り出し、取り去る。
そして、あなたが解放される。
クリスチャンをクリスチャンたらしめているのは、完全さではなく赦しなのだ。

God Bless You!!


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