2012年4月17日(火)

2012年4月17日(火)


『しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである』ローマ人への手紙4章5節


働きがないなんて、とんでもない。

教会で一生懸命奉仕しているし、熱があっても、花粉症でも、口内炎でも、日曜日の礼拝は休まず出席している。
話をきちんと覚えているかは別として。
教会は、来る事に意義がある。

献金だってそう。
ポケットに手を突っ込み、まずはお札を弾き飛ばし、次は手で硬貨のサイズを予想し、ちょうどのサイズが予測できたら、ユーフォーキャッチャーみたいに、拾い上げて献金する。
間違って、ひとつ大きなサイズの硬貨を手にした時には、もう引き返す事はできない。

聖書だって読んでいる。
創世記、出エジプト記…レビ記はとにかくとばして、読んでいる。
まるでノルマのように。

だから…?
教会で一生懸命奉仕しているから、礼拝に来ているから、献金しているから、聖書を読んでいるから。
だから…?なに…?

だから、救われるなんて思ってないよね。
だから、義と認められるなんて思ってないよね。
もし、そう思っているなら、あなたが信じているのは「宗教」だ。

私達は、不信心な者を義としてくださるイエス様を信じているのだ。

God Bless You!!


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