2012年3月27日(火)

2012年3月27日(火)


『イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った』マタイによる福音書20章34節


イエス様の足が止まった。
そして目が見えないふたりの人達に言われた。
「私に何を願うのか」と。
「主よ、目が見えるようになりたいのです」と彼らは言った。
そして、彼らは見えるようになった。

弟子達は、なぜ目が見えない人達を黙らせようとしたのだろう。
イエス様は重要な任務をになった大切なお方だから、道端の貧困者に割いている時間などない、そう思ったのだろうか。
でも、弟子達は誠実だったかも知れないけれど、間違っている。

ついでに言うと、私達が神は忙しすぎて取るに足らない人々には関わっていられないとか、格式を重んじるから手順をふまえて交渉しなければいけないとか思ったら、そういう私達も間違っている。
イエス様に近づこうとする人々を、最も身近にいる者達が拒むなら、その結果は、むなしい空っぽの宗教になってしまう。

教会が、飢えた人々の切迫した欲求を検討するより、教会のスタイルを議論する事に多くの時間をかける時、それは起きる。
教会の最も優秀な頭脳の持ち主達が、素晴らしい真理よりもつまらない論争に没頭する時、それは起きる。
神に寄り頼む姿勢よりも熱心に教会で奉仕する姿を賞賛する時、それは起きる。

神は、ふさわしい服だの手順だのよりも、ふさわしい心を、御心にとめられるのだ。

God Bless You!!


a:295 t:1 y:0