2012年2月9日(木)

2012年2月9日(木)


『あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい』ピリピ人への手紙4章4節


あなたがいつも怒っているのは、学校の先生がひいきするから?
あなたの顔がいつもしかめっ面なのは、両親があなたの気持ちをわかってくれないから?
あなたがいつも文句ばっかり言っているのは、満員電車で座れなかったから?

じゃあ、もし学校の先生があなたをひいきしてくれて、両親はあなたの気持ちを手に取るほどに理解し、満員電車でもあなたの席はいつも空けられている。
それなら満足するだろうか。
そう、確かに満足するだろう。
おそらく8日間くらいは…。
9日目からは、また新しくあなたを苛立たせるものと出会うのだ。

ここに、ひとりの男性がいる。
場所はローマ。天井の高い、狭くくすんだ牢獄。
そこで、男性は床に座っている。
背を丸め、頭の薄くなった初老の男性が、手も足も鎖でつながれている

彼の名前は、使徒パウロだ。
ひたすら、神の御心だけを求めたが、今は陰鬱な牢獄に閉じ込められている。

その不自由な手で、彼は手紙を書いている。
おそらく、神に不服を訴える手紙だろう。
あれこれ不満を述べ立てているに違いない。
あなただったら、当然そうするだろう。
朝ご飯が口にあわなかっただけで、文句が言えるんだから。

パウロが憤慨し、不平を並べ立てても誰も文句は言わない。
ところが彼はそうせずに、ある手紙を書いた。
それは今でも“喜びの手紙”として、知られているピリピ人への手紙だ。

あなたには、パウロが語っている「主にあって喜びなさい」という言葉の意味がわかるだろうか。
本当の喜びは、主につながっている者だけに与えられるものなのだ。

God Bless You!!


a:337 t:1 y:0