2012年2月5日(日)

2012年2月5日(日)


『それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである』マタイによる福音書20章28節


イエス様は、神の召し以外には決して従われなかった。
主の心には、確固たる目的があった。

大部分の人はこれといった目的もないままに人生を送り、何も成し遂げない。
でもイエス様は、ひとつの目標を目指しておられた。
それは、人間を罪から救い出す事。
主の生涯はこの事につきる。

イエス様は、ご自分のつとめに心を集中しておられたから、いつ「私の時はまだ来ていません」と言い、いつ「完了した」と言うべきかをご存じだった。
けれども目標に集中するあまり、不快な気分になられる事はなかった。
それどころか、主の態度は何と優しく思いやりに満ちていた事か!!

子ども達はこぞって、主のまわりに群がった。
主は野の百合の美しさを、礼拝の喜びを、問題の中に可能性を見出された。
おびただしい数の病人と日々を過ごしながら、なお、彼らへの憐れみを失われなかった。

30年以上もの間、人間の罪の泥沼をかきわけて進みながらも、そんな私達の中にある美しいものに目をとめて、私達のために死んでくださったのだ。

God Bless You!!


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