2012年10月4日(金)
『立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた』マタイによる福音書26章46節
あなたは、裏切られた経験があるだろうか。
拒絶は傷を開くが、裏切りは傷に塩をすり込む。
孤独はあなたを凍える寒さの中に取り残すが、裏切りはあなたに扉を閉ざす。
あざけりはナイフを突き刺すが、裏切りはナイフをぎりぎりとねじ込む。
侮辱はあなたの誇りに襲いかかるが、裏切りはあなたの心をずたずたに切り裂く。
愛するチャンスがあるところには、裏切られる危険性もある。
だけど私達は恐れてはならない。
愛する事をやめてはならないのだ。
なぜなら、イエス様がそうされたから。
最もふさわしくない者に「友」と呼ばれた。
最もふさわしくない私達に「神の子」と呼んでくださる。
裏切られる事は、耐え難い事だけれど。いつの間にか自分が誰かを裏切っている事をどれほどの人が自覚しているのだろう。
自分が味わった苦しみと同じ苦しみを、あなたを愛する人に与えているのだ。
そう、あなたを愛してやまないイエス様を。
あなたのために祈り続けている教会の仲間を。
だけど、チャンスは残されている。
イスカリオテのユダは、イエス様のところに帰るべきだった。
悔い改めるべきだったのだ。
私達の主は「友よ」と呼ばれる事で、再び友に戻るチャンスを残しておられた。
それは、私達も同じ事だ。
悔い改める者には、新しい道が開かれていく。
悔い改める…それは、神が与えてくださった最高で最善のチャンスなのだ。
God Bless You!!
a:374 t:1 y:0