2012年10月1日(月)

2012年10月1日(月)


『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』マタイによる福音書25章40節


少し、長いお話…「目印は薔薇の花」

ジョン・ブランシャールは、ベンチから腰をあげると、軍服のしわをのばし、グランドセントラルステーションの中をゆき過ぎる人波に目をこらした。

彼はひとりの女性を捜していた。
顔は知らないけれど、心は知っている。
目印は紅い薔薇一輪…。

彼が、その女性に関心を持ったのは、13か月前の事だった。
フロリダの図書館で、書棚から取り出した一冊の本に興味を引かれたのは、その本の言葉ではなく、ページの余白に鉛筆書きで記されたメモだった。

やわらかな筆跡は、思慮深い魂と洞察力のある精神を表していた。

ミス・ホリス・メイネル…。
それが、本の表紙に記されていた、元の持ち主の名前だった。

時間と労力を費やして、ブランシャールはその女性の住所をつきとめた。
彼女は、ニューヨーク市に住んでいた。
彼は手紙を出し、自己紹介をして、文通を求めた。

翌日、彼は第二次世界大戦に出征し、海外に船で出発した。
翌年まる一年とひと月、ふたりは手紙を通して、互いに知り合うようになった。
一通一通の手紙が、心に種のように落ち、恋が芽吹き、育っていった。

ブランシャールは、ホリスに写真を求めたが、彼女は断ってきた。
あなたが本当に関心を持っていてくださるなら、外見にはこだわらないでしょう、というのだ。

ようやくブランシャールがヨーロッパから帰る日がやってきた時、ふたりは初めて会う事にした。
ニューヨークのグランドセントラスステーションで、午後の7時に…。
「私の目印は紅い薔薇」と彼女は書いてきた。
「襟に薔薇の花をさしています」

そういうわけで、彼は7時にグランドセントラルステーションで、顔を知らぬままに心を愛している女性を捜していたのである。

ここからは、ブランシャール自身に話してもらおう。

そこに、ひとりの若い女性が私のところにやってきた。
背は高い、ほっそりとした身体つき。
ブロンドの髪を耳の後ろになでつけ、巻き毛にして垂らしていた。
その目は、花のように青かった。
唇と顎のきりっとした線は、優しい中にも意志の強さをうかがわせている。

淡い緑のスーツに身を包んで、まるで春のように輝いていた。
私は、彼女のほうに足を踏み出した。
その女性が薔薇をつけているかどうか確かめるのをすっかり忘れていたのだ。
襟には薔薇はなかったのに…。

私が近づいていくと、彼女はかすかに挑発的な笑みを浮かべて、ささやいた。
「ごきげんいかが、水兵さん」
まるで、あやつられるように、彼女に向かって更に足を進めた時、私の目は、ホリス・メイネルの姿をとらえた。

ホリスは彼女のすぐ後ろに立っていた。
40歳をゆうに越した女性で、白髪混じりの髪を古ぼけた帽子の下にたくしこんでいる。
ふくよかという表現ではおさまらないほど太って、ずんぐりした足首を、無理にかかとの低い靴に押し込んでいた。

緑のスーツを着た女性は、さっさと歩み去って行く。
私は、自分がふたつに引き裂かれてしまったような気がした。
緑のスーツの女性の後を追って行きたいという衝動は強く激しかったが、私の心はいつもよりそって、支えてくれた心の持ち主に会いたい思いもまた強かった。

そして、そこに彼女は立っていた。
ふっくらした青白い顔は穏やかで、いかにも思いやりが深そうだった。
グレーの瞳は優しくあたたかな光をたたえている。

私はためらわなかった。
目印に持っていた例の本を、ぎゅっと握りしめた。
古びた小さな青い皮表紙の本。
これは、恋ではないかもしれない。
だが、何かかけがえのないもの、恋にもまさるものかもしれない。
これまでずっと、そして、これからもずっと感謝するに違いない友情なのだ。

私は背筋をびしっと伸ばして敬礼すると、例の本を女性に差し出した。
それでも、にがい失望のあまり、思わず声がつまるのを感じずにはいられなかった。

「自分は、ジョン・ブランシャール中尉であります。ミス・メイネルですね。
お目にかかれて光栄です。
お食事にお誘いしてもよろしいでしょうか」

彼女の顔に寛容な笑みが広がった。
「どういうご事情だかは存じませんけどね」彼女は言った。
「でも、さっき通り過ぎた緑のスーツのお嬢さんに、ぜひこの薔薇を上着にさしてくれって頼まれたんですよ。
それで、もしあなたが私を食事に誘ったら、通りを渡ったところの大きなレストランでお嬢さんが待っている事を伝えて欲しいって。なんでも、ちょっとしたテストだって言っていましたけどね」

ミス・メイネルが機転をきかせた事は良く理解できる。

人の本心は、あまり魅力のない者にどう反応するかでわかるものだ。

God Bless You!!


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