2012年1月22日(日)

2012年1月22日(日)


『われらが卑しかった時にわれらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない』詩編136篇23節


他の聖書訳では「私たちが下積みであった時、御心に留めてくださった方に感謝しよう。
その愛は永遠に続く」とある。

神のいつくしみと愛の最たるものとは何だろう。
それは、神が人となってこの世に来られた事だ。

そして、人となられた神は、エリート達のスーパーヒーローになられたのではなく、下積み生活の者や、蔑まれている者の神となられた。

死んだラザロを呼び起こしたお方は、とても疲れていた。
重い皮膚病の男性に触れた手は、とても汚れていた。
マグダラのマリヤが涙で拭った足には、たこができ、泥だらけだった。
エルサレムを見て涙を流された方の心は、張り裂けそうだった。
イエス様の涙は、私達が味わったのと同じ、心の痛手によって流されたものだ。

だから人々はイエス様のところにやって来た。
彼らは夜でも来た。
道を歩いておられる主に触った。
ガリヤラ湖のまわりを、主の後をついてまわった。
自分の家に招き、主の足元にわが子を置いた。

なぜか?
それはイエス様が、エリート達のスーパーヒーローになる事を拒否されたからだ。
その代わりに主は、そばに近づき、手で触れる事ができる、私達の手の届くイエス様になる事を選ばれたのだ。

これこそ、神のいつくしみであり、愛そのものだ。

God Bless You!!


a:434 t:1 y:0