2012年1月2日(月)

2012年1月2日(月)


『わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます』詩篇142篇1節


神は、私達が求めない先から、私達に必要なものはご存じだ。
なのになぜ祈る必要があるのだろう。
なぜ祈りが重要なのだろう。

まず、祈りは神が聞いておられるから、私達は神に語りかける事ができる。
私達の声は、神にとってとても重要だから。
神は私達の存在を、こよなく真剣に受け止めてくださっている。
それは私達が、神の存在を真剣に受け止めている事にはるかにまさっている。
私達が神を呼ぶ時、神は私達の声を聞こうと耳を傾けられる。

なぜ、私達には祈りが必要なのだろう。
それは、私達がもういちど神を神として認める行為だから。
神が聞いて下さっている事を信じていない人は、祈りなんてしない。
念仏やお経はするけど。
私達の神は、5円や10円のおさい銭が欲しくて、神は祈りを聞かれるのだろうか。
神社の鐘を鳴らさないと気付かないような神なのだろうか。

神が聞いて下さっている事を信じている人だけが、祈る事ができるのだ。
誰にも相手にされなくても、神は私達の存在を、その祈りを、大切にしてくださる。
老人ホームで祈る声を、刑務所で祈る死刑囚の声を、依存症患者が憐れみを請い願う声を、結婚生活をやり直したくて導きを求める声を、神は聞いておられる。

子どものつたない祈りを、流暢な祈りを、愚痴のような祈りでさえも、神は聞いておられる。
そのひとつひとつを、注意深く、熱い思いで聞いておられる。
きっと、祈っている私達よりも、神は熱い思いでその声を聞いておられるのだ。

God Bless You!!


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