2012年1月19日(木)

2012年1月19日(木)


『見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである』マタイによる福音書28章20節


ダビデは、このように言っている。
「わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。
わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを」と。

ダビデが求めた主の家とはどのようなものだろう。
ダビデが言っているのは、実際的な建物の事なのだろうか。
彼は24時間、1年365日、家に閉じこもり、誰とも会わず主を尋ねる事を願っていたのだろうか。

私はそうは思えない。
ダビデは人々から逃れたいから、また閉じこもりたいから言ったのではない。
彼は、どこにいようとも神の御前にいたいと切に願っていたのだ。

そしてこの祈りは、私達の祈りでもある。
神は私達の人生が終わる時まで、共にいてくださる。
その人生を終えた後も、神は永遠の御国で私達と共にいてくださる。

私達が、「主よ!」と呼ぶ前から、主の顔は私達に向けられているのだから。

God Bless You!!


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