2012年1月10日(火)

2012年1月10日(火)


『この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである』ヘブル人への手紙4章15節


私の気持ちなんて、誰にもわからない!!
そう。
自分の気持ちを100%理解してくれる人なんていない。
ただし、イエス様を除いては、だ。

イエス様は、神様だけど私達とまったく同じ人間でもある。
そして、イエス様はすべてのことを経験された。
それは、ある程度でも、かなりでも、ほとんどでもない。
イエス様は、ひとつ残らずすべての苦しみを経験された。

すべての心痛、すべての苦悩、すべてのストレス、すべての悲しみ。
ひとつの例外もなく経験された。

私達が人生で味わう試練は、すべてではない。
勿論、私達にとっては試練は苦しいもので、できれば避けて通りたい。
でも、ある人は愛する人との別れという悲しい経験をしたけれど、仲間には恵まれた人だっている。
お金には恵まれていたが、仲間には恵まれなかった人もいる。

イエス様は、この世にあるすべての人の経験を一身に負われた。
だから、この事はわかるけど、あの事はわからないとは決して言われない。
なぜだろう。
それは、私達のすべての弱さを理解してくださるためだ。

いくらでも、逃げ出したい事だってあっただろう。
私達が簡単に逃げ出すみたいに。
でも、イエス様は決して逃げ出さない。

いくらだって、快楽に走る誘惑はあっただろう。
私達が簡単に罪を犯すみたいに。
でも、イエス様は決して罪の誘惑に屈しない。

イエス様は神様だから?
そうじゃない。
イエス様は、私達と同じ人間だ。

あなたは、知っているだろうか。
イエス様が、いつも人を避けて祈りの時間を持っておられた事を。
ある時には夜が明けるよほど前に起きて祈られた。
ある時には、夜を徹して祈られた。
ある時には、寒い夜に汗が血のしたたりのように流れ落ちるまでも祈られた。
イエス様は、必死に戦われた。まさに命懸けで信仰を守られた。

そうやって、イエス様は優しさや思いやりを身につけられたのだ。
本当に優しい人は、強い人じゃないと無理なのだから。

God Bless You!!


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