2011年12月8日(木)

2011年12月8日(木)


『だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである』ヤコブの手紙5章16節


祈りには力がある。
でもそれは祈りを聞いて下さる方に力があるからだ。
だから、祈る事も大切だけど、誰に祈るのかはもっと大切だ。

もし、神が私達の祈りに耳を傾けて下さらなかったら、今頃は真暗な闇の中をさ迷っていただろう。
もし、神が私達の祈りに耳を傾けて下さらなかったら、今頃はすべてを失っていただろう。

今の私達があるのは、ただ神の憐れみと恵みによる。

祈りは、神から何かをいただくための手段じゃない。
まして神との取引でもない。
祈りは、私達が何者かを思い出させてくれるものだ。
確かに祈った事がかなえられる事はとても嬉しい。
でも神が確かに私達を覚えておられる事を思う時、その喜びは言葉では表現できない。

そして、私達は知る。
決してひとりではない事を。
自分の最も醜い罪を告白しても、一緒に神に祈ってくれる人がいる事を。
先の見えない病の中でも、一緒に涙して祈ってくれる人がいる事を。

義人とは偉大なスーパースターを意味しているんじゃない。
イエス・キリストを神として迎え、愛する人は皆「義人」と呼ばれる。
私達のまわりにはたくさんの義人がいる。

もみじのようなちっちゃな手を持つ義人。
小さな声でしか祈れない義人。
恥ずかしがり屋の義人。
意地っ張りの義人。
涙もろい義人。
よく笑う義人。
料理が大好きな義人。
掃除が苦手な義人。

義人の祈りは力があり、効果がある。
なぜなら神は、こんな義人の祈りを確かに聞いてくださっているのだから。
私達が神に祈る時、神は私達の祈りを正しく評価して、尊重してくださるのだ。

最も良い時に、最も良い方法で神は応えてくださる。
それが祈りだ。

God Bless You!!


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