2011年12月29日(木)
『では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか』ローマ人への手紙6章1節-2節
一度想像して欲しい。
婚礼の夜の花婿が、花嫁にこのような話をしているところを。
「ねえ、僕はきみをとても愛しているよ。
それできみと人生を共にしたいと心から願っている。
だけど、ちょっとはっきりさせておかなければならない事があるんだ。
結婚したあと、他の女性とどこまでお付き合いをしてもいいのかな?
一緒に食事をしてもいいよね。
時々浮気してもいいよね。
きみはそんな事気にしないだろう。
もしきみが傷ついたなら、僕がきみを裏切っても僕を赦すチャンスがどれだけたくさん与えられているのかをちょっと考えてみてくれよ」
花嫁はきっとこう言うだろう。
「絶対に駄目!!」
これは本当の愛じゃない。
これは神の恵みに生きている者の姿じゃない。
私達は赦された。
そしてこれからも赦され続ける。
罪を犯しても赦される。
そう赦され続けるのだ。
だからと言って罪を犯し続けてもいいわけじゃない。
もし、本当に赦された事を「感謝」しているなら、その感謝には「愛」が伴うだろう。
そして神を愛する者だけが、「十字架の犠牲」の尊さを知る事ができるのだ。
そして十字架の犠牲の尊さを知る者だけが「神の恵み」を知る事ができる。
もし、神を信じていると言いながら、私達に何の変化もないのなら、実は私達は何も知らないのだ。
最も大切で、ただひとつ知らなければならない「神の恵み」を知らずにいるのだ。
God Bless You!!
a:343 t:1 y:0