2011年12月18日(日)

2011年12月18日(日)


『見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう』ヨハネの黙示録3章20節


この世で一番悲しむべき言葉のひとつはこれだと思う。
「ここには、あなたのいる場所はない」

イエス様はこの言葉の意味をご存じだった。
イエス様がまだマリヤのお腹の中にいる時に、宿屋の主人は「うちにはあなた達を泊める場所はない」と言った。

イエス様が十字架にかかられた時、この言葉を一身に受けられた。
誰もイエス様を必要としなかった。
だから殺してしまえと言えたのだ。

そして、今日でさえも、イエス様は同じ扱いを受けている。
主は人の心から心へと、中に入ってもいいかと訊ねておられる。
心のドアをノックしておられる。
耳を澄ませば聞こえるのに、心の音は聞こえない。
そのくせ、聞かなくてもいい声は良く聞こえるみたいだ。

多くの人達は口を揃えて言う。
「私にはイエス様は必要ない」と。
そう、「ここにはあなたの場所はない」と言う。

でも、もし心の戸の外に主が立っておられる事に気付いたら、ノックする音が聞こえたら大きく心を開いて欲しい。
主は私達の心の中に入ってきて、一緒に食事をしてくださる。
たとえそれがご馳走じゃなくても、主と共に食事をする事の喜びは言葉では表現できない。

心にイエス様を迎えた人の心は、闇が光となり、悲しみは喜びとなり、憂いは感謝となり、涙は歓喜となるのだ。

God Bless You!!


a:351 t:1 y:0