2011年11月9日(水)

2011年11月9日(水)


『神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである』コリント人への第二の手紙1章4節


神は“いかなる”患難の中にいる時でも、私達を慰める事ができるお方だ。
私達が傷ついた時も、恐れている時も、悲しみや落胆の中にあっても、神は私達を慰める事ができる。

事実、神はその事のためならどんな事でもいとわない。
親が子どものためなら考える前に体が勝手に動いているように、神もそのようにされる。

神の慰めは、あらゆる方法を通してあらわされる。
そっと、握られた温かい握手の中にある。
肩に手を置き、祈ってくれるその中にある。
黙って横に座ってくれるその中にある。
知らないところで祈られているその中にある。

そして、私達は知る。
この慰めは、自分だけのものではない事を。
そっと握る温かい握手は、誰かを握る手に変わる。
肩に置かれた祈りの手は、誰かを祈る手に変わる。
黙って横にいてくれたその愛は、誰かに伝えられていく。

そして神の愛は世界中の人達に広げられていくのだ。

God Bless You!!

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