2011年11月27日(日)

2011年11月27日(日)


『人々がひねもすわたしにむかって「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間はわたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった』詩篇42篇3節


私達は人生の中でたくさんの涙を流してきた。

将来の夢が断たれた時。
愛する人を失った時。
いじめにあった時。
両親の離婚。
信頼していた人からの裏切り。
両親から離れ懐かしい家庭から巣立って行く結婚。
新しい命の誕生。

みな、私達の人生の一ページだ。

では、次のページはどんな一ページなのか。
私達はイエス様を信じた。
そして、主のために涙を流すようになった。
愛する友が、両親が神をそしる時、私達の心は張り裂ける。
滅びへと向かう魂を思う時、私達は語らずにはおれない。
「主よ、彼らを救って下さい」と叫ばずにはおれない。
涙を流さずにはおれない。

自分が否定される事など、何て事はない。
主を否定される事に比べれば。
自分が馬鹿にされる事など、何て事はない。
主が馬鹿にされる事に比べれば。

人々は言う。
「お前の神はどこにいるのか」と。
その時、私達は立ち上がらなければならない。
私達を通してイエス・キリストを現わさなければならないのだ。

主の愛と憐れみ、励ましと慈しみは私達を通して流れていく。
そして、人々は皆、神を知るようになるだろう。

God Bless You!!

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