2011年11月2日(水)

2011年11月2日(水)


『また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう』ヨハネによる福音書8章32節


教会に行くと自由がないと言う人がいる。
それは今までしていた事をし続ける事ができないからだ。

では、一度足を止めてゆっくりと考えて欲しい。
今し続けている事は神に喜ばれる事なのかどうか。

私達は知らないうちに、罪という牢獄に入れられていた。
最初、罪は甘い香りを漂わせ、私達を魅了する。
そしてまんまとその罠に落ちる。
その後は、簡単だ。
罪責感と挫折とみじめさが私達を支配する。
罪という牢獄に入れられたのだ。

その牢獄から出る方法はただひとつ。
死をもって償わなければならない。
死ぬからには、もはや生きてその牢獄から出る事はできないと言う事を意味している。
罪にはそんな恐ろしさがある事を、誰も知らない。

そこに現われたのが、イエス様だ。
イエス様が私達の代わりに刑に服し、私達を自由にしてくださった。
死をもってでしか出る事ができない罪の牢獄から、イエス様が死をもって私達を解放してくださった。
それがイエス様の十字架の死だ。

私達は、再び罪の牢獄に入りたいのだろうか。
イエス様を再び十字架につけたいのだろうか。
イエス様の死をもって解放され、自由を得た私達が、再び罪の奴隷になっていいのだろうか。
イエス様が受けた苦しみは、そんなに軽いものだったのだろうか。

私達が得た自由は、イエス様の想像を絶する叫びを通して得たものなのだ。

God Bless You!!

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