2011年11月17日(木)
『これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである』ローマ人への手紙8章4節
私達の子どもの頃の思い出は、楽しかった事よりも傷ついた事の方が多かったのかもしれない。
時には、自分が仕出かした過去の罪が、私達をののしり、けなし、罵倒する。
もう取り返す事はできないと大声で叫ぶ。
私達は、そんな自分の過去を正当化するだろうか。
それとも釈明するだろうか。
親のせいにし、友達のせいにし、育ちや環境のせいにするだろうか。
ある人は過去を克服し、またある人は言い訳を繰り返している。
でも聖書は語っている。
どんな過去を生きてきたとしても、私達には新しい人生が待っていると。
霊的な生活は、聖霊様の働きによるのだ。
私達の両親は、私達に未来を与えたかもしれないが、神は私達に恵みを与えられた。
私達の両親は、私達を成長させる責任を持っているが、神は私達の魂に責任を持っておられる。
私達は両親から血筋を受け継いだが、神からは永遠の命を受け継いだのだ。
私達はもはや過去に縛られてはいない。
律法に縛られてはいない。
罪に縛られてはいない。
血筋に縛られてはいない。
神は人が与えてくれなかったものを、喜んで与えてくださるお方なのだ。
聖霊様に従って歩む者に与えられるもの。
それは「自由」だ。
God Bless You!!
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