2011年11月11日(金)

2011年11月11日(金)


『わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである』ヨハネの黙示録7章14節


今、私達が苦しんでいる事は何だろう。
今、私達が祈っている事は何だろう。
今、私達が怒っている事は何だろう。

自分の思い通りにならないから、私達は苦しんでいる。
自分が得たい物を、祈りという手段で神に要求している。
自分のプライドが傷付けられたと言って、私達は怒っている。

どこに主がおられるのだろう。
どこに主のために苦しみ、主の栄光を求め、人々を滅びへと導く存在のために怒っているの者がいるのだろう。
誰のための患難だろう。
主のために苦しんでいる者がどこにいるのだろう。

イエス様は、捨てられたような人々に愛を注がれた。
決して触れられる事がなかった重い皮膚病の人に触れて、その病を癒された。
声をかけられる事もなかったサマリヤの女に声をかけられ、救いへと導かれた。
救いを与えるために来られたのに、決してその御翼のもとに来ようとしなかった人々を見て涙を流された。
神の御心を妨げる者に対して「サタンよ、引き下がれ」と怒りをあらわされた。
そして、十字架の上で、「彼らの罪を赦してください」と祈られた。
私達を救うために、あらゆる患難をもいとわず、呪われた者となって十字架にかかられたのだ。

天では、患難を通って救われた人には、白い衣が与えられる。
イエス様の尊い十字架の血で洗われた、白い衣が着せられる。

イエス様こそ真っ白い衣を着るにふさわしいお方はいない。
だけど、私達にも白い衣が与えられるのだ。
この意味を理解する事ができるだろうか。

God Bless You!!


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