2011年11月1日(火)

2011年11月1日(火)


『しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある』ローマ人への手紙8章37節


勝ち得て余りがある

必死で勝ちを手にしたのではない。
勝ってまだ余っている。
これは楽勝って事だ。

私達の人生で、楽勝に手にしたものがあるだろうか。
入試、就職、お金、名誉、社会的地位、夢、すべて私達が努力して得たものだ。
私達はそんな風に生きてきた。

でも努力しても得る事ができないものはどうだろう。
罪の赦し。
人は修行をして自らを清めようとしている。

心の平安。
一時、ヒーリングと言う言葉が流行ったのはそのためかも知れない。

自分の価値観。
自己啓発本が今も売れ続けている理由がわかるだろう。

永遠の命。
人は死後を考える事を不吉だと言い封印している。

罪の赦しは、修行によって得られるものではない。
心の平安は、安らかな音楽の中にあるのではない。
自分の価値観は、自らを探求する中に発見されるものではない。
永遠の命は、封印されたからといって存在しないのではない。

これらすべてはイエス・キリストの十字架によって完成された。
私達はイエス様が流された血潮によって罪が赦された。
イエス様が与えて下さる平安は、この世のものとは異なる。
イエス様は、私達のために死んでくださった。高価な者として私達を見ておられるのだ。
そしてイエス様を信じる者には、永遠に生きる命を与えてくださる。

もし、私達が「勝ち得て余りある」人生を生きたいのなら、イエス様を信じよう。
イエス様が語って下さった言葉を信頼しよう。
イエス様と共に生きよう。
イエス様こそ、勝ち得て余りあるお方なのだから。

God Bless You!!

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